「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」と舞い、謡ったのは織田信長。人間の平均寿命が五十年そこそこだったころとは違って、いまの日本では人生八十年が当たり前。それを受け入れるための社会の仕組みが必要であり、我々ひとりひとりの心構えも大切になってくる。
「いま、どの筋肉を使っているかを知りながら体操をしてください。そして、無理をせずに続けてください」
指導にあたる羽倉寛子さんの元気な声が響く。七十―八十歳代の女性三十人ほどの参加者は、時折笑顔になりながら羽倉さんのアドバイスに従って体操をする。
ここは、東京都板橋区にある東京都老人総合研究所。「お達者健康づくり教室」の光景である。
同研究所の自立促進と介護予防研究チームによるこの教室は、板橋区に住んでいる健康な高齢者を対象に四月から七月まで毎週二回(合計二十三回)、八月からは月に一回の運動指導を行うものだ。高齢者にとっては怖い転倒防止や歩行能力の向上、尿失禁、噛む力の改善などを目的に、体のいろんな筋肉の働きを維持し高めることをねらっている。
「この体操は生活の合間にできるものばかりです。毎日五分でもするように心がけてください」と羽倉さんの指導は続く。
体操の中には片方の手を広げて腹にあて、もう一方の手を「グー」を作りながら前に突き出し、これを交互に繰り返すという高齢者にとってはやや高度なものもある。「最初のころは間違える人も多かったのですが、今では誰もが正しくできるようになっています。この体操は脳からの指令を筋肉に正しく伝えるという訓練にもつながります」と羽倉さんは教室の効果を強調する。
よく言われるように、日本の高齢者の増加は急速だ。高齢化率(人口に占める六十五歳以上の人の割合)が七%を超えてから一四%に達する倍化年数を見るとフランスの百十五年、スウェーデンの八十五年、米国の七十一年、英国の四十七年に対して日本は二十四年。一九九四年に一四%を超えた高齢化率は二〇〇五年には一九・九%。約二千五百万人が六十五歳以上の人である。このままいくと二〇五〇年には人口の三五・七%が高齢者であると予測されている。
高齢者の増加と同時に若年者の減少も高齢社会の大きな問題だ。人口ピラミッドを見ると一九七〇年ころまではすそ野の広がった富士山型の人口構成になっていたが、それが次第に釣り鐘型になり、二〇三〇年には若年者よりも高齢者の数が多くなると推定されている。
老化のなぞ探る
誰も経験したことがない高齢社会。それに伴う不安はさまざまだが、最も多いのは健康に関するものだ。
内閣府が二〇〇四年に行った意識調査では高齢者に対するイメージとして「心身がおとろえ、健康面での不安が大きい」という答えが七二・三%(複数回答)と断然多かった。
お年寄り=健康に不安、を和らげようというのが加齢医学である。科学の力で老化のなぞを解明し、一歩でも“不老長寿”の夢に近づこうというのである。その有力な武器になりそうなのが「長寿遺伝子」と呼ぶべきものだ。
以前から「百歳老人の秘密」が言われてきた。「白寿(九十九歳)」という言葉があるように、昔から高齢者はめずらしくはなかったし、百歳を超える人もいた。不思議なことに長寿の人の家系には長生きの人が多い傾向がある。食事などの生活習慣のほかに何か遺伝的な要因があるに違いない――という狙いのもとに見つかったのが長生きに関係する遺伝子である。
そのひとつに米国ボストン大学のグループが見つけたものがある。人間の四番染色体にあるコレステロールの代謝に関係する遺伝子だ。この遺伝子がうまく働くとコレステロールの代謝が促進され、動脈硬化などの生活習慣病が現れにくくなるのかもしれない。こうした長生きにかかわる遺伝子はいくつもあると考えられている。
日本でも「長寿遺伝子」の探索は行われている。
代表的な例はプロスキーヤーの三浦雄一郎さん一家の研究だろう。世界最高齢になる七十歳でチョモランマ(エベレスト山)に登頂した三浦さんの心肺機能は二十歳代の男性と同じであり、この機能は娘さんも高い。また、百歳を超える三浦さんの父親も骨が丈夫であるという結果が出ている。親子三代に引き継がれている遺伝的な要因があるのかもしれない。
もちろん遺伝的な要因だけではない。それがうまく働くように、運動や生活習慣をきちんとすることが大切である。遺伝子の機能をうまく生かす努力が必要なのだ。そうした研究から、長寿にかかわるヒントが得られる可能性は高い。
確かな目が必要
いま、抗加齢(アンチエイジング)がブームにもなっている。アンチエイジングをうたったサプリメントや健康法などが出回っている。中にはなるほどと思う合理的なものもあるが、多くはきちんとした根拠がなく説明もあやふやである。
誰もが加齢とともに訪れる心身の衰えを防ぎたい、という要望をもっている。それに付け込むようなことを避ける確かな目をもちたい。
同時に、加齢によるさまざまな障害を乗り越えるためのアドバイザーも欠かせない。筋力トレーニングや食生活の改善などを通じて高齢者の生活に助言をする人材育成などの試みが各地で始まっている。
「生・老・病・死」は人が避けることのできないステージである。今までの医療はともすれば「病」に力が入れられてきた。これからは「老」により重きを置くことが必要であろう。
人々のニーズの重点が「病気を治す」ことから「QOL(生活の質)の向上」に移ってきていることを考えると、加齢にともなうさまざまな弊害を除くための手立てが大切である。医療はこれに応える義務がある。
高齢者のための原則として「自立」「参加」「ケア」「自己表現」「尊厳」がある。これらを全うするには医療技術だけではなく、年金、医療費、介護を含めた新しい地域社会づくりといった社会科学面や、心の問題を解決するための人文科学面の検討が必須である。これらがうまくかみ合ったとき、単なる「長命」ではなく、長生きしていることが喜べる「長寿」社会が実現するだろう。